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今年最後のにくの会

今年最後のにくの会(第34回)が、新橋「梅包」(メイパオ)で行われました。

最高点句(7点)は千十(田阪武夫さん38年卒)の

「手に掬ひ身を沈めゐる柚子湯かな」でした。

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高高27会文集

高高27会文集・傘寿記念号が発刊されました。
昭和27年卒のみなさんは、古希記念号以降、毎年文集を発行していましたが、傘寿記念号が最後になるそうです。

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幹事慰労会での久保先輩の発言録

久保先輩から以下の手紙をいただきましたので掲載します。

久保醇治(昭和27年卒)
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 11月23日の東京玉翠会幹事慰労会で、菊池寛杯争奪麻雀大会にかかわる、高松高校の大先輩菊池寛について発言をしました。
 私の発言内容は、あまり知られていない菊池寛の偉大な業績と実像とを、後輩の皆さんと認識を正確に共有したいと願ったものでした。それが、発言後、共感を得た後輩の女性幹事に囲まれた理由と後で判りました。

 偉大な先輩、菊池寛が評価された事を喜び、そのときの発言内容の概略を以下に記します。

 今年、八月に発刊された「映画人・菊池寛」(藤原書店刊・志村三代子著)を読み、菊池寛先輩(以下敬称略)が、自身の著書102作品を映画にし、文芸作品の映画化を成功させたことを知りました。

 新聞小説・文芸雑誌と、初めて現れたトーキー映画が、無声映画に替わる交代期を正確にとらえ、映像により文芸作品の社会的価値を高め、文学の社会化活動を進めました。菊池寛は、この業績をみても、日本で初めてのメディアミックス(新聞、雑誌、ラジオ・小説の融合)を実現させた日本最初の仕掛人でした。

 そして、創立した文芸春秋社と「大映」映画会社の初代社長等の立場から、無名作家を地方の講演会へ頻繁に派遣したり、無名のため生活できない作家のために芥川賞・直木賞を創設し、無名でも能力が高い作家を評価する仕組みを作り、数多くの作家を世に出しだのが菊池寛でした。一方で、スキャンダルで干されていた女優などを映画の主役に抜擢するなどの温情家でもありました。

 小説・映画制作活動と同時に、菊池寛は「日本文芸家協会」を創り、文学者を健康保険、社会保険に加入させたり、競馬・ゴルフの大衆化を果たしました。東京玉翠会・菊池寛杯争奪麻雀愛好会に関係する麻雀は、当時限られた人の娯楽だったものを、前記のメディアミックスの融合媒体によって一気に大衆化したり、囲碁・将棋等の娯楽も全国的に大流行させた偉大で天才的な社会事業家でもあります。

 私は、小学校4年生(正確には国民学校4年生)の時、菊池寛の「第二の接吻」を読み、大人の恋はこんなに辛く悲しいことなのかと密かに泣いた経験がありますが、後に菊池寛が私の旧制の高松中学先輩になるとは夢にも想像できませんでした。
 戦前、この「第二の接吻」が映画化されましたが、題名の「接吻」の使用が禁止されて大問題に発展しました。「接吻」は国民の戦意を削ぐとの軍部の極解か理由でした。

 なお、著名な文芸評論家の小林秀雄は、「多くの文学者と対談したが、志賀直哉と菊池寛の二人しか天才はいなかった」と高い評価をしています。
 偉大な先輩・菊池寛の実像を正しくとらえ、彼を誇るべき先輩の一人として後輩の皆さんが敬愛し胸に収めてくださることをお勧め致します。
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